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関東大震災と「大地の反逆」
生誕100年記念
関東大震災と「大地の反逆」
大正12年9月1日の関東大震災を報道する新聞
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(2)2009.01.19

大地震の体験、交響楽短詩に
  1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東地方はマグニチュード7.9の大地震に襲われました。震源地は伊豆沖海底で、死者約10万人、行方不明約4万3000人、全壊家屋は12万戸、全焼家屋44万戸を数えました。
 22(同11)年に福島商業学校に進学した古関は、震災当時は2年生で14歳。自伝によると本屋でこの大地震を体験したといいます。大きな揺れを感じた古関は、早速自宅に戻り2階に上って周囲を見回して被害の有無を確かめていたそうです。「東京の火事が見えるとの噂(うわさ)もたったが、私はウソだとは思いながらもやはり東京の火事は見ることができなかった」(自伝「鐘よ 鳴り響け」)と述べています。大地震とはいってもさすがに福島市までの影響は少なく、それでも翌々日あたりから被害の全貌が新聞などで次第に明瞭(めいりょう)になってきました。
 古関の福島商高先輩で、写真家としても有名だった故・小関庄太郎も当時をよく記憶していました。「古関さんは2歳年下でしたが、家も近く、遊び仲間で少しのつきあいはありました。昭和5年の懸賞作曲の入選を聞いて、ビッグだなあと思いました。関東大震災は福商在学中の大事件で、私は西沢書店脇の喜多屋という蕎麦(そば)屋で体験しました。『これは揺れるな!』という感じでした。福島市の方は、特に被害はなかったのではないでしょうか」
 大地震を体験した古関は28(昭和3)年、交響楽短詩「大地の反逆」(41ページ)を作曲しました。

国民交響楽団で演奏 
  古関の直筆履歴書によれば、「昭和5年、小松平五郎主宰の国民交響楽団秋季演奏会でこの交響楽短詩が演奏さる。これが楽壇デビューである。10月に日本コロムビアと契約。同社の専属作曲家となる」とあります。
 古関は、現在では幻の楽譜の舞踊組曲「竹取物語」ほか4曲を同時期に作曲し、イギリスの作曲コンクールで見事第2等に入選していますが、「大地の反逆」こそ、古関音楽の神髄を垣間見ることのできる交響曲、と考えられるのではないでしょうか。
   
関東大震災と「大地の反逆」
「大地の反逆」楽譜(古関裕而記念館提供) 
    メ  モ                                     
「亡き愛児に捧ぐる歌」 
 古関裕而記念館の陳列戸棚には古関の業績が展示されています。中に「室内管弦楽・亡き愛児に捧ぐる歌」という18ページの大曲があります。作品解説として「青年期の作品」とだけあるものの「愛児」とは誰のことかと想像は果てしなく続きます。

 


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