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アフロの髪型では“キラキラの存在”になれない? 周囲と違う自分への葛藤を抱いたハーフ美女…縮毛矯正後の姿に35万回再生

2025/11/12 08:10

  • その他
縮毛矯正前のチェルシーさん(@alichel_channelより)

 日本とナイジェリアのハーフで、幼少期や学生時代に自身の地毛やルーツに悩んでいたというチェルシーさん。そんな彼女が投稿した幼少期からの髪型の変遷と縮毛矯正のビフォーアフター動画は35万回再生され「どちらの髪も素敵だし美人さん」「どっちも似合っている」などと多くのコメントが寄せられた。縮毛矯正を決意したきっかけや、周りと比較して劣等感を感じていたこともあったという自身のルーツへの思いについて、投稿者・チェルシーさんに話を聞いた。

【写真】縮毛矯正後…サラサラストレートの爆美女になったチェルシーさん

■自分で上手く髪を扱えず、頭皮をギューっと引っ張られる痛みに「惨めな気持ちになっていた」

―― 「縮毛矯正かけたら人生が変わりすぎて…」という動画は35万回再生され、「かわいい」「ストレートヘアも素敵だけど、元から素敵」などのコメントが寄せられています。このような反響を受けていかがでしょうか?

「シンプルにすごく嬉しいです! 私自身、縮毛矯正をかけた今のストレートヘアをすごく気に入っているので、それを素敵だと言ってもらえることがありがたいのはもちろんですが、今回の動画をきっかけに、ありちぇるちゃんねるに興味を持っていただける方が1人でも増えたら嬉しいなと思っています」

――縮毛矯正をかけようと思ったきっかけについて教えてください。

「きっかけは、小学校入学と女性ファッション誌との出会いです。保育園に通っていた頃は『どうすれば空を飛べるのか』なんてことを考えるのに夢中な子どもだったので、あまり自分や他者について考えたことがなかったんです(笑)。ですが、小学校に入学すると急に集団での生活が始まり、そこで初めて良くも悪くも“自分と他人との境界線”を感じるようになりました。『私って周りと違うんだ』という意識が芽生え、日を追うごとにそれが恥ずかしいことだと思うようになりました。また、女性誌を読むようになり、私も誌面の中のモデルさんみたいなキラキラ存在になりたいと強く思っていました。ですが、アフロの髪型のままでは、そうなれないと思っていた気がします」

――「毛量多すぎて自分で髪の毛結べなかった」「宿泊行事は編み込みがマストだった」「体育祭などで好きな髪型ができなかった」とのことですが、縮毛矯正をかける前、どのようなことが一番大変でしたか? 

「やっぱり自分で上手く髪を扱えないことが一番大変でした。カーリーヘアって可愛くスタイリングするのがすごく難しいんです。当時は今より情報も少なかったですし、私は毛量も多く、髪質も硬くて太いので、子どもの手のサイズだと自分で1つに結ぶことすらできませんでした。幸いにも母がヘアメイクだったので、毎朝髪を綺麗に結んでもらっていました。母の膝の間に座り、大きいブラシで髪をとかされ、頭皮をギューっと引っ張られて最終的に1つにまとめるのですが、それがとても痛くて、悔しくて、恥ずかしくて、なんだか惨めな気持ちになっていたのを今でも覚えています」

■髪の毛を触られるだけで嫌だった過去…「髪に関して言われることは全てネガティブに捉えていました」

――YouTubeでは、小学生の時、髪の毛を勝手に触られるのが嫌だったともコメントされていました。髪の毛に関して、周囲からの言葉で傷ついたことや精神的に辛い経験などはありましたか?

「今になったら悪意を持った発言じゃないことはわかるのですが、当時はとにかく髪に対するコンプレックスが強かったので、髪に関して言われることは全てネガティブに捉えていました。だから、『かわいい〜』と触られるだけでめちゃくちゃ嫌でした。『犬じゃないし!』みたいな(笑)。特に嫌だったのは、当時、黒柳徹子さんが髪の中から飴を出すシーンが話題になっていて、それと同じように私のポニーテール部分に色々入れられたりしたことです。男の子には消しカスを入れられたりしました。小学生って残酷ですよね」

――縮毛矯正をかけた現在でも、3秒で地毛に戻せるなら戻すともコメントされていましたが、ご自身の地毛に対しての思いを教えてください。

「実は1年くらい前に、縮毛矯正を辞めてカーリーに戻したことがあるんです。ストレート部分にスパイラルパーマを当てて、比較的地毛に近いカーリーヘアにしたことがあるのですが、なぜか自分の中では違和感がとても大きかったです。私は日本生まれ日本育ちで、好きな音楽やメイクなんかも日本で流行っているもので、中身は完全に日本人なのですが、カーリーヘアだとどうしても純外国人として接されることが増えますし、周りから見たときの印象が変わってしまうのが、理由として一番大きかったと思います。あと純粋にストレートヘアの自分の方が可愛いし魅力的だと思っています!」

――縮毛矯正をかける前とかけた後でのご自身の心境の変化はいかがでしょうか?

「ファッションやヘアって自己表現の一種で、純日本人でもパーマやカラーを楽しんでいる人がいるように、私もストレートヘアが今のテンションに合っていると思っています。でも、縮毛矯正をかけなければ、このように純粋にヘアスタイルを楽しむこともできなかったと思うので、そこは大きな変化だと思います」

■高校進学で広がった価値観「“周囲とは違う自分”を意識せずに過ごすことができた」

――「ハーフは日本でもマイノリティ、海外に行ってもマイノリティ、自分ってどこにいればいいのだろう」と話されているのが印象的でした。学生時代や思春期にご自身のルーツに悩んだこともあったのでしょうか? 

「私が住んでいた地域は治安も良かったですし、穏やかな子が多かったので、ハーフだからという理由でいじめられたことは一切なかったんです。友達も多かったので、客観的に見たらすごく楽しい思春期時代を過ごしていたと思います。それでも、男の子とかと喧嘩したときに決まり文句で言われる『国に帰れよ!』はずっと頭に残っています。それ以外は、周囲からの加害というよりも、自分で感じていたコンプレックスを拡大させて、勝手に周りと比較して感じていた劣等感が辛かったです。“ハーフ”という自分では絶対に変えられないアイデンティティに嫌悪感を抱いていたので、ずっと苦しくてどうにかしてそこから抜け出したいと思い、中学卒業まではずっと勉強していました。高校進学を機に、地元から離れたら新しい自分になれると思ったからです」

――幼少期は、周りと違うことに敏感で気にしいな性格だったとのことですが、今はSNSなどでご自身のルーツについて発信されています。いつ頃、ご自身のマインドを切り替えることができたのでしょうか? 

「高校時代での経験が大きいです。地元では、小中とずっと同じ大好きなメンバーで過ごしていましたが、当時は勝手に劣等感を感じて苦しんでいました。新しい環境にいきたいという思いから、必死に勉強して進学した高校が都立国際高校です。都立校で唯一国際学科が設置されている高校で、さまざまなバックグラウンドを持つ生徒が在籍していたからこそ、はじめて“周囲とは違う自分”を意識せずに過ごすことができました」

――高校入学がきっかけになったんですね。

「それでも根強い劣等感はあったので、『絶対に舐められたくない。見てろよ!」という気持ちで、在学中はいろいろなことに挑戦しました。部活のリーダーや体育祭の団長など、昔の自分からは考えられないくらい能動的に振る舞っていたら、いつのまにか自信がつき、劣等感がなくなっていました。自分が嫌いだったときは自分のことばかり考えていましたが、自分を好きになってからは外に思考が向きました。そういう意識の変化が、発信活動に繋がったと思います」

――幼少期と現在で、ご自身のルーツに対する心境の変化はありましたか?

「自分のルーツに悩んでいた時は、『なんで私だけこんな思いしなきゃいけないの?』と自分のことをある意味“特別”だと思っていました。ですが、人はそれぞれ地獄と特権性を抱えているということに気づいてから、自分を変に特別視しなくなりました。『それぞれ色々あるから、しょうがないかな』と、ある種の諦めですが、自分に対して嫌悪を向けるのではなく、諦めて許すことが自分への愛おしさに繋がると信じています。今は、ハーフであることも含めて、自分のことを好きな時も嫌いな時もあるので、本当に普通の悩める24歳という感じです!」

――今、ご自身のルーツに悩まれている方へ、どのような言葉をかけていきたいですか?

「『絶対、大丈夫になるよ』と伝えたいです。身の危険を感じる環境からは離れてほしいですが、悩んだり、傷ついたり、怒りを感じる瞬間全てがあなたの力になるから、無駄じゃないよと。ハーフ関係なく、人生で何かに葛藤した経験は、その人の佇まいに出ると思っています。それは自分だけの魅力になるし、それに気づいてくれる人は絶対にいます。あとは、ルーツに悩む人は孤独感を感じやすいと思うのですが、だからこそ他者に優しくあってほしいなと願っています。『優しくしたい、優しくされたい』という感情は、誰もが持っている欲求だと思うので、それができる人は強いと思います。全員が大丈夫と言える世界になるように、私も自分に何ができるのか考え続けたいです」

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