古関裕而『うた物語』TOP
三越ホームソング
生誕100年記念
三越社長の志受け13曲作る
西條八十(前列左から2人目)と野村俊夫(前列右端)(野村俊夫家提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(29)2009.09.07

三越社長の志受け13曲作る
家業は呉服屋
 1953(昭和28)年1月、古関はコロムビア文芸部長の伊藤正憲から、「三越の社長から新しい歌を作りたい」との申し出があったと伝えられました。当時の社長は岩瀬英一で、温厚篤実な人柄で音楽にも造詣(ぞうけい)が深く、憂国の士でした。
 岩瀬は古関に、「現在巷(ちまた)に氾濫(はんらん)している歌は、みな不健全なものばかりである。楽しく美しい歌を作ってほしい」という要望を出しました。作詞は当時早稲田大教授の西條八十、作曲は古関というビッグな組み合わせで、国民歌謡的曲が計13曲誕生しました。その第1作が昭和28年の「母を想えば」(歌・長門美保)でした。第1作は日本人の心の歌、子守歌をテーマに、という岩瀬の希望で出来ただけに完成度も高く、野村俊夫作詞の「故郷はいつも瞼(まぶた)に」と双璧(そうへき)をなす作品といえます。
 その後、第3作として発表された「花咲く街」(昭和28年)は、二葉あき子が歌いました。この歌には「アネモネの花」や「鳩時計」などが登場、西條自身の「東京行進曲」(昭和4年)や彼の弟子門田ゆたかの「東京ラプソディ」(昭和11年)同様、独特の味を出しています。「今日はよい日」(歌・安西愛子)は10作目で、平凡な日々でもその良さを見つけて懸命に生きたいという「日々是好日」を歌った作品でした。
多彩だった歌手陣
 このシリーズの歌手は、藤山一郎、奈良光枝、伊藤久男、美空ひばり、島倉千代子、コロムビア・ローズら、そうそうたるメンバーで「さすが三越は違う」と言われました。三越はホームソング「のど自慢大会」を企画し、東京放送で放送しています。岩瀬社長の逝去により、約3年でこの企画は終了しましたが、古関は自伝(『鐘よ 鳴り響け』)で「健全な歌曲を社会に広め得た」と岩瀬に感謝しています。
 古関は「13曲中、評判の良かった曲は『秋草の歌』である」と言っています。昭和29年の中頃(ごろ)から、このシリーズからも「花咲く街」などが次第に歌われ出し、岩瀬社長も安堵(あんど)したといわれています。
    メ  モ  
 長門美保 
 福岡出身のオペラ歌手で、東京音楽学校卒業後、声楽家として活躍。戦時中は「愛馬進軍歌」「出征兵士を送る歌」などを歌い大ヒット、戦後は長門美保歌劇団を主宰、オペラ活動にまい進しました。西欧諸国から勲章を受け、1994(平成6)年逝去。  

 


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