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日本ライオンズの歌
生誕100年記念
日本ライオンズの歌
1979(昭和54)年、福島市名誉市民に推載された古関(前列左から2人目、古関家提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(36)2009.11.02

士気を鼓舞する応援歌多数
日本ライオンズの歌
 ライオンズクラブ(LC)会員が例会で必ず歌う「日本ライオンズの歌」は、1959(昭和34)年、詩人藤浦洸が作詞し、古関作曲で発表されました。それまで会員が歌っていたのは、「ライオンズ・ヒム」というアメリカ民謡の替え歌でした。クラブの歴史が浅いこともあり、会員としては物足りなさを感じていたと聞いています。
 しかし、日本ライオンズクラブの活動も次第に定着し、会員も増えつつあった第四回岡山大会において、「日本独自のライオンズの歌を作成してほしい」との声が上がりました。阿部幸次が委嘱委員長となり、「日本ライオンズの歌」が、翌年の京都大会で盛大に披露されました。現在では全国3300余クラブの会員が歌い続けています。
作曲の依頼が集中
 ところで、ライオンズクラブと同様のボランティア活動団体にロータリークラブ(RC)があります。クラブ数は国内で2300余を誇っていますが、その会員歌「ロータリークラブの歌」のいくつかを古関が作曲したと聞くと、大方の人は驚きます。
 この2団体のみならず、いわば並立関係にある団体の歌、例えば早稲田大と慶応大の応援歌、阪神と巨人と中日の球団歌等々、かなりの歌を古関は作曲しています。なぜ古関には作曲依頼が集中するのでしょうか。それは古関の応援歌の持つ迫力や敢闘精神にあるのではないでしょうか。古関音楽を超える応援歌を作曲できる作曲家は多くはないはずです。依頼者は「古関音楽を超える曲は、古関音楽しかない」と確信したのでしょう。
「日も風も星も」
 古関自身も東京都世田谷ロータリークラブに所属し、「日も風も星も」というRCの歌を作曲しています。作詞は同じく世田谷RC会員で俳人の楠本憲吉、制定は昭和48年2月となっています。「さわやかな朝だ/われらはロータリアン/いつも元気で/さあ出掛けよう」との歌詞で、クラブ員の士気を鼓舞するのです。古関音楽はまさに、爽さわやかさと励ましが詰まった音楽といえそうです。
    メ  モ  
 川俣町と古関音楽 
 古関は1971年10月、川俣ライオンズクラブ結成5周年記念式典に出席、得意の弾き語りで会員を魅了しました。古関は80年、「川俣町民の歌」を作曲、歌碑も建立され、川俣中学校校歌などと共に、多くの町民に親しまれています。   

 


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