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わらじ音頭
生誕100年記念
わらじ音頭
「わらじ音頭」の直筆色紙(古関裕而記念館提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(41)2009.12.21

福島のまつり熱く盛り上げ
 福島の信夫三山暁参りは、巨大なわらじを奉納することで有名な県都のまつりです。わらじは真冬の福島市内を練り歩いた後、信夫山の羽黒神社に奉納されますが、信夫山の急坂はスリルに満ち、参拝者の中には、恋人とお参りに出掛け、恋を成就させる人もいました。
 ところで、県庁裏の夏の花火大会が中止され、すずらん通り(現・パセオ470)の「吾妻おどり」も振るわなくなった1969(昭和44)年、福島商工会議所は、町おこしの目玉として毎年夏に「わらじまつり」を開催することに決定しました。
 まつりを盛り上げる「わらじ音頭」の作曲は、古関に決定していました。作詞は新聞記者を退職後、川柳や作詞を手掛けていた茂木宏哉が担当し、丘灯至夫に補作を依頼、ここに「わらじ音頭」が誕生したのでした。
 「ここは福島見せたいものは/ヨイショ/ヨイショ/ヨイショ/ヨイショ/ナンダナンダ/ナンダヨット/羽黒神社のソレ大わらじ/ソウダソウダナイト/わらじ音頭でコラショノショ」
 しかし、この歌はなかなか歌詞が覚えられないといわれました。実行委員会では、「ワラジンガー」という歌い手を養成してまつりに備えていますが、囃子(はやし)ことばが多すぎるきらいがありました。現在では、歌も踊りもすっかり市民に溶け込み、真夏の福島の夜を彩る最大のイベントとして定着しています。

■「祓川橋」移築復元 
 昭和45年7月5日、福島わらじまつりの「わらじ音頭」発表会が開催され、古関が故郷を訪れました。ちょうどその時、信夫山麓(さんろく)を流れる祓川(はらいがわ)に架けられていた古関家先祖寄進の「祓川橋」の移築復元が進められていました。
 取材に対し古関は「移築した祓川橋は小さい頃ころ、よく家族から聞いて知っており、みなさんのご好意で保存されることになり、こんなに嬉(うれ)しいことはありません。先祖は橋を残しましたが、私の作ったわらじ音頭も市民の皆さんで育ててやって下(くだ)さい」(福島民友新聞)と懐かしそうに語りました。
    メ  モ  
 祓川橋 
 江戸後期の安永年間に古関家の先祖が寄進、福島市霞町の祓川に架かっていました。橋の両側にツルとカメが彫刻されたモダンなものでした。昭和12年の祓川改修以後、土砂に埋もれたままでしたが、現在は同市の信夫山麓の公園内に保存されています。  

 


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