舟を呑(の)むような大きな魚。『列子(れっし)』に「呑舟の魚は枝流(しりゅう)(小さな流れ)に遊ばず」とある。
高尚な志を持つ大人物はこせこせした俗世間には住まないことを喩(たと)える。似た言葉はいろいろある。
初唐の張九齢(ちょうきゅうれい)の詩に「孤鴻(ここう)海上より来(きた)り、池黄敢(ちこうあえ)て顧(かえり)みず」(1羽のおおとりが海から飛んできて、水たまり〈池黄〉なぞ目もくれない)と、大海に遊ぶおおとりを自(みずか)らに喩える。また、秦(しん)に反旗を翻した陳勝(ちんしょう)は、初め日傭(ひやと)い労働をしていたが、「燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」(燕(つばめ)や雀(すずめ)などの小物(こもの)は、おおとり〈鴻鵠〉の志を知るものか)と豪語した。大きな望み、高い志を抱く人物は、小さなものなど眼中になく相手にしない。
|