百尺もある高い竿(さお)の先端。もと仏教の語。『景徳伝燈録(けいとくでんとうろく)』(宋代に編纂(さん)された釈迦(しゃか)以来の法話集)に「百尺竿頭動かざる人」とある。修行(しゅぎょう)して到達した高い悟さとりの境地の喩たとえ。
「百尺」は、高いこと。ヒャクセキとも読む。シャクは呉音、セキは漢音。仏教語はふつう呉音(初めに日本に伝わった中国の南方音)で読む。漢音は隋(ずい)・唐(とう)のころ伝わった北の長安ちょうあん(西安)地方の音。
一般にこの語は「百尺竿頭一歩を進む」という使い方をする。すでに到達した高い境地を、さらに一歩先へと進めること。
転じて、もはや完全だと思われるものを、さらに努力を加えたり、限界を超えようと一段と勇気をふるいたたせることにたとえる。
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