夏の火鉢と冬の扇(おおぎ)。役に立たないものの喩(たと)え。
漢の王充(おうじゅう)の『論衡(ろんこう)』に、「益(えき)無きの能を作(な)し、補(おぎな)う無きの説を納(い)るるは、夏を以(もっ)て炉を進め、冬を以て扇を奏(すす)む」(役に立たない能力を振い、余計な説を述べるのは、夏に炉をすすめ、冬に扇をすすめるようなもの)とある。
夏の暑さに火鉢はいらないし、冬の寒さに扇はいらない理(ことわり)だ。この語は寵愛を失った女性(特に宮女)の喩えにも用いる。
漢の班捷(※)妤(はんしょうよ)(捷(※)妤は女官の位)は、成帝の寵愛を失い、「怨歌行(えんかこう)」という歌を作って自分を扇に喩えた。―円(まる)い扇は君の懐中に出入(ではい)りし、微(そよ)風を起こしたけれど、秋になって涼(すず)風が吹くと、いらなくなって箱の中へ捨てられました―と。
※捷→「てへん」の部分が「女」
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