驚きのあまりぼんやりして気抜けするさま。「茫然」は、ぼんやりするさま。またあきれるさま。「呆然」とも書く。「自失」は、我を忘れること。
『列子(れっし)』の中の、孔子と弟子との問答で、子貢(しこう)という弟子が孔子の教えに「茫然自失」した、とある。理解できずにぼんやりしてしまったこと。
およそ、意外な事が起こったり、大事件に遭遇(そうぐう)したりすると、どうしてよいかわからず、ぼんやり我を忘れてしまう。子貢の場合は、孔子の教えがいつもと違い、どうしてよいかわからず、ぼうっとしてしまったさまを形容したのである。
昭和20年8月15日、思いもかけぬ敗戦に、玉音放送を聴き”茫然自失”。あれから61年経(た)った。
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