心が潔白で曇りがなく正しく堂々としていること。
四字熟語としては、古典には見えない。「公明」は、六朝・梁(りょう)の劉峻(りゅうしゅん)の文章に用例がある。私心のないこと、隠し立てしないことの意。
「正大」は、「正大高明(こうめい)」という語が、『論語』の文についての宋の朱子(しゅし)(朱熹(しゅき))の注に見える。「子路(しろ)の学は、已すでに正大高明の域(いき)に造(いた)る」とあり、孔子の弟子の子路は極めて高く立派な学者の域に到達している、と評したもの。
また、「光明(こうめい)正大」の語が、清(しん)の学者顧棟高(ことうこう)(18世紀)の文に見え、同じように心が潔白で正しく堂々とした意味に用いている。
「公明正大」「正正堂堂」、口にするだけで気分が高まる。ぜひこの語に恥じない社会にしたいものだ。
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