魚と水の関係のように、切っても切れない親しい交わり。
『三国志』に見える話。蜀主劉備(りゅうび)が何事によらず諸葛孔明と相談し、極めて親密なので、関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)は面白くない。ついあれこれ文句を言うと、劉備は「孤(こ)(天子の一人称=わたし)に孔明がいるのは、魚が水を得たようなものだ。二度と文句を言ってはならぬ」とたしなめた。
魚は劉備を喩(たと)え、水は孔明を喩える。魚が自由に動けるのは水あってこそ。このように、もとは君臣の間柄が親密なことをいうのであったが、一般には上下の身分関係なく用いられる。
「管鮑(かんぽう)之交」(103回)や「刎頸(ふんけい)之交」(104回)と同類だが、こちらは互いに相手を徳とする意味合いが強い。
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