閑(しず)かに流れる雲、野に遊ぶ鶴。転じて、自由気ままに悠々と生きる人物の心境を喩たとえる。
「閑雲」は、静かに空にただよう雲。●雲(かんうん)と同じ。初唐の王勃(おうぼつ)の詩に「●雲潭(たん)影日に悠々」(静かな雲が潭(ふち)に影を浮かべ毎日悠々と流れてゆく)の句がある。
「野鶴」は、自由に野に遊ぶ鶴。「孤雲と野鶴と、豈人間(あにじんかん)に住(とど)まらんや」(空にひとつ浮かぶ雲と野に遊ぶ鶴は、俗世間に住むものではない―中唐の劉長卿(りゅうちょうけい)の詩)とあるほか、詩によく詠(うた)われる。
「●雲孤鶴」という語もある。唐末、権力者に阿(おもね)らず、その元(もと)を去った詩僧貫休(かんきゅう)は「●雲孤鶴、何(いず)れの天か飛ぶべからざらん(どこの空へでも飛んで行く)」と言い放ち自由に生きた。
●は門の中に月
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