悲しみ憤り歎く。 後漢の蔡炎(さいえん)(字(あざな)は文姫(ぶんき))に「悲憤詩」がある。大学者蔡〓(よう)の娘に生まれたが、匈奴(きょうど)に捕われて王の妻になったり、連れ戻されて再婚したり争乱の中で悲しい目に遭う。その悲しみ憤りを詠(うた)った大作である。
「慷慨」は、「亢慨」とも書く。やはり憤ることだが、より激しい意味を持つ。唐初の魏徴(ぎちょう)の「述懐(じゅっかい)」詩に「慷慨の志猶(な)お存そんす」と、国を救おうとの思いを激しく詠う。
「悲歌慷慨」という語もある。悲しみのあまり歌を唱(うた)って憤ることで、項羽(こうう)の「抜山蓋世(ばつざんがいせい)」(24回)の歌を唱う場面に「項王悲歌慷慨して自ら詩を作り…」と『史記』に見える。
安酒をあおって「悲憤慷慨」するのも若さの特権だ。
(〓は”巛”冠に”邑”の合わせ文字)
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