うどんもやはりコシで食べると信じておりました。その私が大変身してしまったのは、臼歯(奥歯)が何本かなくなっただけで、もう「コシが」などとは言えなくなっております。歯がなくなりますと好みも変わりますし、食生活も大きく変化することを経験しました。
先日コンビニにてスパゲティを購入して夜食でいただきました。麺類で温めるだけの作り置きされたものを買うことはそれまでなかったのですが、硬いというかコシはないだろうと安心して求めました。
しかし、予想に反してアルデンテ的硬さがあって驚きました。でもハンディのある私でも食べられないほど硬くはなくて、ありがたかったです。後日談的ですが、この麺完食せず、翌朝残りを食べたのですが、のびてなく昨夜と同じ硬さだったので、また驚きました。
硬いと言えば煎餅。大好きな食べ物のひとつです。この煎餅、最近ではサラダ揚げが中心になり、堅焼き煎餅は苦手になっております。歯がたった数本なくなっただけでこんなにも不調になるものか。専門家である私も想像もしておりませんでした。
歯って本当にありがたいもの
こういう経験をしますと、少しましな歯科医師になれるものと変に納得しております。この経験の中で、ひとつは何の不自由もなく食べ物を食べられるという方がうらやましくなり、もうひとつ、一緒に食事をしていて苦労しないでおいしそうに食べているのを見るのはとってもつらいものがあることを体感いたしました。
歯って本当にありがたいものだったのだと知りました。おいしく食べることの幸せを、歯を失って知りました。もちろんこの悲劇を体験しないように、歯を守ることの大切さを多くの人に知っていただく啓蒙をする役目が、私たちにはあると強く思います。
失わないようにすることが大切
歯を治すことが仕事とずっと思っておりましたが、それだけでなく、歯を失わないようにすることがもっと大切と語りかけるのは、私たちの最も大切な仕事であるようです。物事すべてそうですが、なくなってそのありがたさがわかるものなのかもしれません。でも、歯はもう一度生えてはこないのです。
失った時に、かけがえのないものを失ってもう二度と...。以前、「歯のありがたさがわかる時」という本を書かせていただきましたが、その時では遅いとも言えますが、義歯を作るということで少し、いや、かなりの救いになることも事実です。
不幸にして歯を失っても、あきらめることなく義歯を入れて、回復するということも大切なのです。
いずれにしましても、歯のことでもやはり体験しないと、歯がなくなった患者さんの本当のところは理解できないと知りました。やはり義歯はありがたいものと理解しました。
うまくのみ込むために歯で切る
少しキタナイ感じの話になりますが、職業病なのでしょうか、私などは酔っぱらいの吐いたものを見たりします。普通の人ですと目をそらすのですが、じっくり見たりするのです。
酔っぱらうとナゼかシメにラーメンなどを食べる方が結構いらっしゃるようです。酔っぱらうとラーメンが食べたくなる生理があるということを何かの本で読んだことがあります。
まっ、それはそれとして私は研究者?としてじっくりその吐物を見ます。麺類など全く噛み切った様子がなく、飲み込んでいることがわかります。消化についてはあまり変わらないとしても、のどに詰まるキケンもある訳で、ラーメンの上に乗っているのりを詰まらせて...という例もあるようです。
消化云々だけでなく、うまくのみ込むために歯で切ってというのは大切なことで、高齢者になると窒息してしまうこともあります。歯は消化のためだけでなく、うまくのみ込むためにも大切な役割があります。
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