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【佐藤巌太郎(上)】小説・会津執権の栄誉 動乱の舞台...亀ケ城跡

11/30 11:50

木立の隙間から見える猪苗代湖=亀ケ城・本丸跡から

 すでに紅葉も終わり、粉砂糖の帽子をかぶったような山々が、真っ青な空の下で並んでいる。そんな穏やかな日、猪苗代町を訪れた。

 町の中心部から少しそれ、図書館や学校が集まった文教地区に入ると、平地の中にポツンと出っ張った、小ぶりな丘があった。丘の東側の駐車場には「いなわしろ新八景 亀ケ城跡」の石碑。戦国時代末期、会津攻防戦の鍵となった城の跡である。

 謀略の標的に

 今回の猪苗代行きは、福島市で執筆を続ける作家、佐藤巌太郎さんの、直木賞候補にもなった単行本「会津執権の栄誉」の舞台探訪が目的だ。ただ、当初の構想とは少し違う。

 最初は、物語のクライマックスの舞台、合戦場となった磐梯山南麓の摺上原がいいな、と思った。「絵になりそうですからね」と、巌太郎さんにも伝えた。すると作家は「...絵になると言うなら、亀ケ城の方がいいですよ」。取材を重ね、歴史の「一瞬」を緻密に描いた作家の一言は重い。ならばと、亀ケ城跡へ直行した。

 「会津執権の栄誉」は、会津を約400年統治した芦名家が、伊達政宗によって滅ぼされた1589(天正17)年の猪苗代での戦いを軸に、主に芦名家中の人々のドラマを緻密かつ重厚に描いた歴史・時代小説である。

 猪苗代の戦い自体は、伊達軍が会津に侵攻し、摺上原の合戦で芦名軍を破るまで、わずか3日間の出来事だった。だが、戦いは伊達による「調略」という形で、合戦以前から始まっていた。

 「会津執権―」は、この陰謀渦巻く開戦前の史実についても、誰が伊達に寝返った裏切り者なのか―というサスペンス的な要素を含んだドラマとして丁寧に描いている。

 なので、少しネタバレになるのでご容赦願いたいのだが、その謀略の標的になったのが、芦名の出城である亀ケ城(猪苗代城とも言う)だった。

 当時、大森城(現福島市)などを支配下に置き、県北から本宮辺りにまで勢力を広げていた政宗が、会津攻めで注目したのが、中通りから会津黒川(現会津若松市)へのルートの途中で立ちふさがる亀ケ城だった。ここを落とさねば、会津黒川には進めない。

 芦名側にとっては、「会津執権―」に「猪苗代城は会津黒川城とは目と鼻の先だからな」「伊達にとって猪苗代城を押さえれば、ここ黒川への侵攻はたやすくなる」とある通り、死守せねばならない城だった。

 しかし亀ケ城を拠点に猪苗代一帯を治めていた猪苗代家(芦名家の一族)では、前当主の猪苗代盛国と、その息子の当主、盛胤とが、戦闘を行うなど対立していた。同時に芦名家中でも、猪苗代家当主を含む古参の重臣と、佐竹家から養子に迎えた当主とともに会津に来た佐竹出身の家老たちとの内紛があった。

 政宗は、この不安定な状況につけ込み、会津を攻めたのだった。

 謀略の中身は、ネタバレを避けるためここでは記さない。詳しくは「会津執権―」や林哲著「会津芦名四代」(歴史春秋社)、七宮涬三著「三浦・会津蘆名一族」(新人物往来社)などを読んでいただくとして、結論を言えば政宗率いる伊達軍は1589年6月3日、亀ケ城を攻略した。

 この時、伊達軍は本宮で、須賀川に展開した芦名軍と向き合う形で布陣していたが、一転して安子ケ島(現郡山市)経由で会津へ侵攻。迅速な動きに、芦名軍は出し抜かれた形になった。「会津執権―」では、この突然の伊達軍侵攻と、主力部隊とは別行動をとったとみられる政宗の「猪苗代出現」が、芦名重臣の動揺とともに描かれ、不気味さをかきたてている。

 見晴らし抜群

 現在公園になっている亀ケ城跡は高さ約30メートル。大手口だった東側から、江戸時代以前に築いたとみられる石垣に沿って、こけむした石段を上り、平らに整備された本丸跡に着くまで、駆け足なら1分ほどか。こぢんまりとした館跡といった風情だ。東側以外は、傾斜の急な斜面で、自然の地形を生かした砦(とりで)なのだなと思うが、大軍に攻められれば、そうはもたないだろうとも思う。

 しかし、本丸跡の辺りを歩いていると、「なるほど、拠点なのだな」と納得もした。

 北を向くと真っ正面に磐梯山。ただ、周辺は平たん地だけに、見晴らしは抜群だ。特に南西を向くと、葉を落とした木々の間から、ちらちらと見える光の反射に引き付けられた。猪苗代湖の湖面だ。視界が360度きき、日中なら山越えの敵も、湖上を舟で攻めてくる敵も一目瞭然。会津黒川城にとっては、レーダー基地のようなものか。

 少し武張ったことに思いが巡ったが、小春日和の城跡は、いたってのどかだ。磐梯山も、青空を背に居眠りしているように見えた。

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 【亀ケ城跡へのアクセス】JR猪苗代駅からバスで約5分。車の場合は磐越道・猪苗代磐梯高原インターチェンジから約10分。

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 【亀ケ城】豪族猪苗代氏の初代、猪苗代経連が1191(建久2)年、猪苗代町の現在地に造ったと伝えられる城。猪苗代氏が代々居城としたが、伊達政宗の会津侵攻で14代盛胤が湖南横沢(現郡山市)に退き、猪苗代城主は途絶えた。江戸時代は、幕府から一国一城令が出されたが廃城にはならず、幕末の戊辰戦争で焼失するまで会津藩の東の守りとして置かれた。現在残る石垣は、幕末の落城まで600年以上、崩れなかったといわれている。城跡は明治に入り町内有志が公園として整備した。城が立っていた丘は、20万~40万年前の古磐梯火山の噴火活動で流れ出した、マグマや火山灰などの泥流の先端部分。城跡は町指定重要文化財。

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 【佐藤巌太郎(さとうがんたろう)】1962年福島市生まれ。中央大法学部法律学科卒。2011年「夢幻の扉」で第91回オール読物新人賞を受賞しデビュー。16年「啄木鳥」で第1回決戦!小説大賞。「会津執権の栄誉」で直木賞候補。19年「将軍の子」(文芸春秋)、20年「伊達女」(PHP研究所)刊行。

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 【会津執権の栄誉】会津を支配した芦名家の滅亡を、芦名家の重臣や架空の武士、足軽、伊達政宗らの視点から描いた連作短編集。文芸春秋刊。佐藤巌太郎さんの1冊目の単行本で、「本屋が選ぶ時代小説大賞2017」に選ばれ、第157回直木賞候補にもなった。

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