運命の巡り合わせとは不思議なものだ。普段なら意識もしない大学の掲示板を何げなく見た。「体育教師求む」と書かれた貼り紙が目に飛び込んだ。求人先は聖光学院だった。 県の教員採用試験に失敗したばかりだ。難関の試験を何年受け続けたら県立高校の教師になれるのか。最短ルートで体育の先生と高校野球の指導者という夢を手にするために意地を捨て、聖光学院の門をたたいた。 1987(昭和62)年春、採用と同時に野球部...
この記事は会員専用記事です
残り559文字(全文759文字)
続きを読むには「みんゆうプラス」の会員登録もしくは
「福島民友新聞購読」の申し込みが必要です。