「不惑」の年齢である40歳は、私にとって人生の大きな節目となった。 東京の国立成育医療研究センターで専門の小児呼吸器を学んでいるといっても、身分や待遇は研修医と同じ。当直で生活費を賄う日々は決して安定しているとは言えない。 私には妻と2人の娘を養っていく責任がある。「子どももいるし、生活をちゃんとしなくちゃいけない」と考えるようになっていた。 一方で、菊池医院を郡山市で開業している父...
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