【2】子どもの頃は嫌だった 前ふくしま若旦那プロジェクト実行委会長・渡辺利生

05/09 08:00

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厳しい状況が続く福島の観光再生のため「若旦那」を前面に出した。働く旅館のロビーに等身大パネルを立て、私が不在でもPR役を果たす

 「若旦那」と呼ばれることが嫌だった。  大人になれば、旅館の3代目に生まれた自分の出自だからとも思える。でも高校生ぐらいまでは「若旦那」や「跡取り」という言葉に人生を決めつけられているように感じた。  私の実家ホテル山水荘は、祖父が同じ土湯のいますや旅館(震災で廃業)から独立し開業、父が近代的な温泉旅館に事業を拡大した。  親からはあいさつを厳しくしつけられたが、「旅館を継いでほしい」と言...

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