私の戦後は夫との二人三脚の歩みです。 とても波瀾(はらん)万丈でしたが、夫と苦楽を共にした55年に、苦労と感じたことはありません。 夫は建設会社を経てガラス会社に勤めました。私は、山形県の親戚が福島市に起こした肌着の縫製会社で経理として働きました。 夫はガラス会社で手腕が認められ、役員にも就任しました。在任中の1955年には、地元の人に推されて福島市議に当選。市勢伸展のために力を尽くしまし...
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