【2】苦肉の策から生まれた おくや社長・松崎健太郎

12/11 15:00

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自宅の一部を改修して本社にした。最初は私(後列中央)と妻、社員の3人で始まったが、従業員は徐々に増えて、今では16人となった

 豆菓子の商いは、失敗を帳消しにするための苦肉の策から生まれた。 私が起業したのは21歳の時。社長になったといっても、社員は私1人。何を商売の柱にするかも決めていなかった。 そんな調子なのでなかなか芽が出ない。3年後の2000(平成12)年、雑穀などを仕入れる仕事をしていた叔父の世話になり、農家から豆を買い、問屋に売る仕事を手伝った。 豆の価格は相場で決まる。最初の年は1キロ500円だったのに、翌...

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