私にとって五輪はつらい記憶でしかない。 1988(昭和63)年のソウル、92年のバルセロナの2大会連続で出場したが、いずれも思うような試合ができなかった。 初めて大舞台に立ったソウルは決勝に進出できたが、とても嫌な試合だった。それは記録を狙うのではなく、残しにいったことだ。 予選は16メートル29を跳び、12人が進める決勝にぎりぎりで進んだ。三段跳びの決勝は最初3回で記録を出せないと次の3...
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