古里に腰を据えて料理の仕事をするという道も「あり」かもしれない。 そんな思いが東日本大震災後、強くなった。 元々、私は「古里のために働きたい」という思いを形にするため、郡山市フロンティア大使を務めさせてもらっていた。 震災前は、自分の知名度や人脈を生かせる東京の方が貢献できると考えていた。でも震災後のさまざまな人との出会いや経験を通して「福島に拠点を移すべきでは」と思うようになった。当時、...
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