「介護疲れ」という言葉を耳にする。僕の母はあの時、そんな状態だったのだと思う。 病院でのリハビリ生活を終えて自宅に戻ると、自宅で理容室を営む母が僕の介助を一手に引き受けた。 母は当然、介助の経験がない。僕が仙台市の病院を退院する前に介助の方法を聞いて、見よう見まねでやってくれていた。 体に障害を負ってからの3年11カ月、僕は看護師や理学療法士ら「プロ」の方々に介助してもらって過ごしていた。...
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