【5】あの時、母は限界だった 障がい者の旅行を考える会代表・佐藤孝浩

02/21 18:44

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1998年にイタリアを旅した時の母と僕(手前)。母の介助なしに暮らせないのに、文句ばかり言って母を追い込んでしまった

 「介護疲れ」という言葉を耳にする。僕の母はあの時、そんな状態だったのだと思う。  病院でのリハビリ生活を終えて自宅に戻ると、自宅で理容室を営む母が僕の介助を一手に引き受けた。  母は当然、介助の経験がない。僕が仙台市の病院を退院する前に介助の方法を聞いて、見よう見まねでやってくれていた。  体に障害を負ってからの3年11カ月、僕は看護師や理学療法士ら「プロ」の方々に介助してもらって過ごしていた。...

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