染め物は生まれた時から身近にあった。物心ついた時から将来は親の跡を継ぎ、染め物職人になろうと思っていた。 私は野馬追の里、南相馬市原町区の西内染物店の長男として1932(昭和7)年に生まれた。 私が子どもの頃は、着物はまだ普段着だった。好みの色に染め上げた反物で縫った着物でみんな暮らしていた。昔の人は、一度作った着物を染め直して10年ぐらい大事に使った。当時、街には20ほどの染め物屋が軒を連...
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