染め物職人としての第一歩はセールスマンだった。 終戦後、私は1951(昭和26)年に相馬農高を卒業し、本格的に家業の染め物店で働き始めた。当時、染め物作業は人手が足りていたので、まずは営業を任された。 18歳の若造ながら、染め物屋の跡取りとしてすっかり一人前気取り。ハンチング帽に詰襟服姿で、地図を頼りに相馬市から浪江町方面まで一人自転車を走らせた。朝から晩まで農家を回ったが、最初の頃は全く注...
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