初めて挑戦した相馬野馬追の指旗(さしばた)の染色は、失敗の連続だった。 群馬県での2年間の染め物修業を終えた私は、22歳で実家の西内染物店に戻った。 父清二とともに、私は染色、営業活動にいそしんだ。1958(昭和33)年、26歳の時に妻久子と結婚。まさに順風満帆で、店もこれからという同年に、父が胃潰瘍で倒れた。幸い命に別条はなかったが、入院、療養生活を経て以前と同じ仕事量はこなせなくなり、い...
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