あんなに店を離れたのは、修業時代以来かもしれない。 2011(平成23)年の3月11日。自宅兼店舗の居間で一服していた時、私は猛烈な揺れに襲われた。立っていられないほどの激しい揺れ。作業場で一人、神社ののぼり旗を制作していた長男清祐(せいゆう)が「死ぬかと思った」と青い顔で居間に飛び込んできた。当時、家には私と妻久子、清祐、清祐の妻実恵の家族4人がいたが全員無事だった。 周囲では損壊した建物...
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