【4】鶴の一声で夢の舞台へ 医療創生大副学長・田口信教

09/18 08:00

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メキシコ五輪後、車に乗って尾道市内のパレードに参加した私(手前左)と早稲田(同右)。メダルは取れなかったが、激励を受けて次の五輪への力が湧いた

 まさか、五輪に出られるとは思ってもいなかった。  1968年メキシコ五輪で、男子100メートル平泳ぎの日本代表に選ばれた時は信じられない思いだった。選考レースとなった全日本選手権は4位。普通は代表になれないはず。尾道高から選ばれるのは、クロールで好成績を残した同級生の早稲田昇くらいだと思っていた。  異例の選考は、当時の故田畑政治日本水連会長の一声で決まった。開催地のメキシコ市の標高は2千メ...

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