新たに飛び込んだ世界では、新たな発見ばかりだった。 現役を退き、「日本の水泳環境を改善したい」という次の目標をかなえるため入った建設業界。誰もが使いやすい施設を整備しないと、日本の水泳が世界から取り残されるとの危機感があった。 1977(昭和52)年に入社した建設会社フジタは、元々はスポンサーとして私の水泳生活を後押ししてくれていた会社だった。68年メキシコ五輪後には私たちのため、当時最先端の設...
この記事は会員専用記事です
残り574文字(全文774文字)
続きを読むには「みんゆうプラス」の会員登録もしくは
「福島民友新聞購読」の申し込みが必要です。