【2】共存の大切さ教わった 大内宿三澤屋代表取締役・只浦豊次

10/27 15:00

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私の原点となる生家。貧しさを象徴するようなたたずまいで、不遇な環境から抜け出そうと働くための原動力になった

 私は3女1男の第3子として大内で産声を上げた。当時の只浦家では祖母が若くして亡くなり、父親は継母との摩擦から私が2歳の時に妻と子ども4人を残して家を出てしまった。その後、母の実家に預けられた私は伯父夫婦と過ごし、中学校からは母に連れられて会津若松市の芦ノ牧温泉で生活していた。 芦ノ牧で叔母夫婦が土産屋を経営していたことから、学校から帰るとすぐに店の掃除を行い、旅館の布団敷きの手伝いをはじめ、若女...

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