子どものころの私にとって、猪苗代湖は遊び場でもあり、日々の暮らしそのものだった。 1947(昭和22)年、私は猪苗代湖北岸の稲作農家の長男として生を受けた。わが家は、郷土が生んだ医聖・野口英世博士の生家の近く。「鬼多見」という名字はこの辺りでは、私の家と親戚ぐらいだろうか。かつては多くの「鬼多見」家があったそうだが、日露戦争中、多くの家が「鬼」という字を避けて、「喜多見」と改名したのだそうだ。私...
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