今でも、事故のことを振り返るのは嫌だ。思い出したくない。だが、人生が断ち切られた時の光景は、忘れることができない。 1964(昭和39)年9月17日。どこの家の軒先にも、昨日の夜までのお祭りの花が挿されていた。いつものバスに乗って、本郷から会津若松の勤め先に向かった。大川の橋に差し掛かると、ススキの穂が真っ白に輝いていた。それが自分の2本の足で見た最後の光景だった。 それから間もなくだった。...
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