意識が戻らない中、私はカトリックの洗礼を受けた。予期せぬことだったが、今は感謝している。その時の記憶は全くない。すべて、後に聞いた話である。 昏睡(こんすい)状態が1週間余り続いた1968(昭和43)年の夏、これ以上は無理ということで、私から酸素吸入器が外されようとした時、突然母が「神父さんを呼んでくなんしょ」と、誰にともなく言ったという。 倒れた私はいつか、やせこけ、手足を釘(くぎ)で貫か...
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