私の手記「白き径(みち)」が書籍化され、手元に届いたのは、1968(昭和43)年9月末のことだった。本の表紙には「この生命(いのち)ある限り」とタイトルが記されていた。 「地方にいる寝たきりの、無名の人間の本など読む人がいるのだろうか」。そう思っていた。だが、初版本はたちまち売れ切れ、増刷が間に合わなかったという。後で知ったのだが、入院中の私を支え続けてくれた同級生が、本を抱えて会津若松のまち...
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