「実は、会社を閉めようかと思っている」 大学4年生の時、社長である父親から突然切り出された。1人暮らしをしていた栃木県から帰省した時だった。中国などからの安価な輸入品の台頭で業績が落ち込んだ家業。現状を初めて知り、私は思わず叫んだ。 「この家から、この町から機織りの音を消しちゃだめだ」。この時、家業を継ぐ決意が固まった。本格化していた就職活動をやめ、川俣に戻ることにした。 創業者の祖父から...
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