黄金時代は長くは続かなかった。 1951(昭和26)年、私が15歳になると、本宮にもう一つの映画館「中央館」ができた。それまで、本宮はうちの独占状態だったが、お客を二分するようになった。 2館の運命の分かれ目となったのが、上映作品だった。本宮映画劇場は松竹と東宝、日活といった映画会社と契約、中央館は大映と東映だった。昭和20年代後半、それまでぱっとしなかった東映がヒット作を出し、中央館の客の...
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