高校卒業まで、伊達市(旧保原町)で育った。両親と4歳上の姉、父方の祖父母の6人家族。ごく普通の家庭だった。 父は生前、自身が体験した戦争について多くを語らなかったが、19歳で海軍予科練に入り、米子の航空隊で終戦を迎えたらしい。父の年金手帳を見ると、戦後の混乱の中でいろいろな仕事に就いていたようだが、最終的には福島大の事務職員として働いていた。父は仕事からの帰宅が遅くなりがちで、母が専業主婦と...
この記事は会員専用記事です
残り621文字(全文821文字)
続きを読むには「みんゆうプラス」の会員登録もしくは
「福島民友新聞購読」の申し込みが必要です。