先代の義父正雄は、よく働く人だった。言葉で技を教えるのではなく、自分の働く姿を見せることで私に仕事を覚えさせた。義父は予科練入隊中に終戦を迎えた。その後、岩手大農芸化学科で醸造の基礎を学んだ。 うちのような小さな醸造元にとって、戦後は厳しい時代だった。食生活が多様化し、和食中心だった時代に比べ、しょうゆやみその消費量は減少した。スーパーマーケットの出現も追い打ちとなった。スーパーの棚にはさまざま...
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