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大谷翔平、7年前の秘話…栗山英樹氏が明かした“別れ”の時「どんなことがあっても本人はいっさいブレなかった」

08/30 13:23

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大谷翔平 (C)ORICON NewS inc.

 野球日本代表「侍ジャパン」の前監督で北海道日本ハムファイターズのCBO(チーフ・ベースボール・オフィサー)を務める栗山英樹氏の新刊、『監督の財産』(発行:日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)が9月9日に発売される。監督生活12年の集大成として、「監督の役割」「監督の人事」「監督と選手」「監督の資質」など後世に残したい“経験知”を綴る。同書から、ファイターズ時代の大谷翔平、そして2018年の“別れ”の舞台裏を一部抜粋して紹介する。

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■「勝手に何かを決めつけてその『らしさ』を失わせてはいけない」

 ドラフト1位で指名をして、ファイターズに来てもらってから「5年以内にメジャーに行かせる」というのが私と、ファイターズと翔平の約束だった。

 だからその間に、必ず二刀流で日本一になる。チームの勝利のために二刀流をしていることを証明する。それはファンや多くの批評家に批判されていたからそれを見返すため、というのもあったけれど、何よりメジャーでもそれができますよ、と少しでもアピールする必要があったからだ。

 あれだけの逸材を手元に置き、勝手に何かを決めつけてその「らしさ」を失わせてはいけない。だから本人がやりたい限り二刀流は絶対だし、それをファイターズにいる間に少しでも証明しなければいけなかった。

 そして4年目に日本一になり、MVPも獲得した。約束の5年目を控え、本人にメジャー行きの思いを問うと「何を今さら」と言った感じで「行きますよ」と言った。

 その後も、開幕直後に肉離れをするなどアクシデントがあって、こっちは「メジャーに行ける状態だろうか」「中途半端な気持ちになったら余計にリスクだな」などと考えることは何度もあった。でもいつだって杞憂で、答えは「行きます」。どんなことがあっても本人はいっさいブレなかった。

■大谷翔平が描いた漫画「スラムダンク」、三井寿に込めたメッセージ

 そうして2017年12月9日。ロサンゼルス・エンゼルスに入団することが決まる。

 新年に入った1月28日、私たちは2018年のシーズンに向けてキャンプ地であるアメリカ・アリゾナ州のスコッツデールへと向かった。もちろん帯同しない翔平は日本に残り、二軍施設のある鎌ヶ谷でトレーニングを行いながら2週間後の渡米に備えていた。

 私たちが2週間のキャンプを終えアメリカから日本に戻った時、入れ違いのように翔平はアメリカへ渡る――そうして日本に帰ってきた時、私たちは翔平からのメッセージを目にすることになる。

 鎌ヶ谷にあるウェイトルームのホワイトボードに人気漫画『スラムダンク』の登場人物がびっしりと書いてあったのだ。聞くと、トレーニングをした後、時間を持て余してずっと絵を描いていたらしい。安西先生や仙道といった人気キャラはそれぞれ特徴を捉えていて、うまい。

 その中にあった三井寿の号泣する絵には、一言、「お世話になりました」と書いてあり、その下には翔平のサインがしてあった。

 戦ってきた「仲間」への言葉。翔平らしいな、と思って今も鎌ヶ谷には残してもらっている。

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