1930(昭和5)年に福島市の実家で新婚生活を始めた古関裕而と金子(きんこ)は同年9月に上京、日本コロムビア専属の作曲家となった。 日中戦争の発端となる盧溝橋事件が起きた37年7月、古関夫婦は中国に金子の兄妹を訪ね、帰路に日露戦争の激戦地・旅順に立ち寄った。古関の自伝では「領土争いの悲惨な犠牲の痛ましさに感極まった」と振り返る。 戦時下の作曲活動をみる。37年は旅順での強烈な印象から「勝ってく...
この記事は会員専用記事です
残り693文字(全文893文字)
続きを読むには「みんゆうプラス」の会員登録もしくは
「福島民友新聞購読」の申し込みが必要です。