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郡山駅周辺 八幡様囲む街づくり

2025/07/03 10:50

安積国造神社
松尾芭蕉の句碑
駅方面から県道17号を歩道橋で渡ったところに立つ「歩き出す街」(1995、小泉隆一)。すっと足を伸ばし、ここから続くさくら通りを今にも歩き出しそうだ
なかまち夢通りから見た鳥居。その先にも神社に向かって鳥居が続いている
芳山公園に立つ石碑。「郡山地名発祥之地」「奈良平安時代陸奥国安積郡衙址」と刻まれている

 今年は昭和100年。一足先に昨年、市制施行100周年を迎えた郡山市のJR郡山駅周辺で、歴史をたどる街歩きをした。

 駅のすぐ近くに「陣屋通り」「代官小路」と名付けられた細い道がある。江戸時代、この辺りに二本松藩の代官所が置かれ、「陣屋」と呼ばれていたことが由来だという。

 代官小路を通ってなかまち夢通りに出ると「道路元標」という石碑が立っていた。説明書きには「元標は奥州街道の道しるべとして町の境界や分岐点に置かれていたもので、中町では八幡様(安積国造神社)の表参道の正面に当たる場所に建てられていた」とある。

 確かに、元標の目の前には安積国造神社の鳥居がある。さらに、県道17号(旧国道4号)を越えた先にも鳥居が続く。導かれるように神社へ向かった。

 歩道橋を渡り、「歩き出す街」という3体の像を眺めながら神社へ。敷地に入ると、「安積山かたびらほして通りけり 芭蕉」と刻まれた句碑がある。松尾芭蕉が安積山の麓を通り過ぎた時に詠んだ句で、第55代宮司安藤親重が残した文書「安藤親重覚書」(1831<天保2>年)に記されていたものだ。

 境内に入ると木々が風に揺れる音が心地よい。参拝し、さくら通りに出ると、神社の敷地に沿って4階建てのビルが連なっている。この近くで育った記者の記憶をたどると、昭和50年代のここは、生鮮食品から書籍、薬品まで、通りを歩けば生活必需品がそろう、にぎやかな商店街だった。現在は、当時から続く楽器店や生花店をはじめ、ブックカフェや飲食店など、新旧の店子(たなこ)が入居している。神社の南側にも、昭和の時代には今の「郡山ブラック」発祥のラーメン店や、とんかつ店などが軒を連ねていた。

 安積国造神社宮司の安藤智重さんに話を聞くと、神社の周囲に商店があるのは、安藤さんの祖父、故貞重さんの「グランドデザイン構想」によるものだという。神社を中心に街を整備し、にぎわいを生み出そうと考えたのだ。

 表参道が県道で分断されている理由を尋ねると、第2次世界大戦中に行った「建物疎開」のためだという。爆撃などの被害に遭った際の類焼を防ぐため、密集した建物を移動させたのだ。その後、建物がなくなった空間に道路が開通し、今の形になったという。

 謎が解決したところで、周辺で歴史が感じられる場所を尋ねると、神社からすぐ近くに広がる「清水台遺跡」を教えてくれた。安積郡の郡衙(ぐんが)があった場所で、郡衙とは古代の郡役所のことだ。「郡山」という地名の由来にもなっているという。「郡山という地名は全国各地にあるが、その中で一番初めにここが市になったから、郡山市と名付けられた」と安藤さん。近くの公園に、郡衙跡を示す石碑が最近できたというので、行ってみることに。

 さくら通りを上ること数分。たどり着いた場所は芳山公園として整備され、新しそうな石碑が立っていた。ここには1994(平成6)年までヨークベニマルさくら通り店があった。すぐそばにある大友パン店は、郡山市の誕生と同じ24(大正13)年の創業だ。郡山市と昭和の100年の歴史に思いをはせながら、パンを食べて公園で一休みしよう。

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