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バレーボール古賀紗理那、今後の夢は「夫のお世話を頑張りたい」 夫・西田有志は照れ笑い

08/16 15:13

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引退記者会見に出席した古賀紗理那(C)ORICON NewS inc.

 パリオリンピックのバレーボール女子・日本代表キャプテンで「NECレッドロケッツ川崎」に所属するアウトサイドヒッターの古賀紗理那(28)が16日、都内のホテルで引退記者会見を開いた。

【写真】夫婦愛…!古賀紗理那の会見を見守っていた夫の西田有志

 パリオリンピック開幕前の7月9日に現役引退を表明。パリでは、2012年のロンドン以来、3大会ぶりのメダルを目指したが惜しくも1次リーグ敗退となった。

 古賀は、グレーのトップスを着用し、晴れやかな笑顔で会見場に。「2024年8月3日のパリオリンピックの試合を持ちまして、9年間のプロバレーボール選手としてのキャリアを終える決断をいたしました」と報告した。「東京オリンピックが終わって、パリで主将をやると決めた時から、パリオリンピックで選手を引退すると決意して、ここまで練習、試合をしてきました」と説明。オリンピックを振り返ると「私たちの目標であるメダルには手が届かなかった。そこは悔しかったんですけど、チームとして戦うために、ずっと練習をしてきて、それで積み上げてきたことは少しも消えない。私含めて、みんな頑張った大会だったなと思います」と話していた。

 早い段階で引退を決めた理由も説明。「私自身がいつまでやるかわからない状況でプレーするよりも、『ここまで走り切る』と決めてプレーしたいという思いが1番強くあって。最初は東京オリンピックが終了したあたりから、気持ちもちょっと終了していた。このメンタルで日本代表には行けないなという気持ちがあった。自分の中で葛藤して、キャプテンをやると決めてから、パリまでずっと先頭に立って引っ張っていきたいという気持ちになった。パリオリンピックまでは全力で走り続けようという気持ちでやってきました」と語っていた。

 そんな思いを抱えての3年間。「日本代表ではキャプテンをしていたんですけど、所属チームではキャプテン、副キャプテンとかも何もせずに私自身が成長することだけにフォーカスして過ごせた。自分も成長しているなと感じられたし、私自身が1番私自身の成長を楽しんで過ごせた3年間だった」としながら「日本代表ではキャプテンとして、と勝手に背負い込んでしまって気持ち的に大変な部分があった。話を聞いてくれる仲間だったり、所属チームのみんなだったり、たくさんの方に支えられて、3年間なんとかやってこれた」としみじみと口にした。

メンタル的に厳しい状況でも引き受けたキャプテン。「東京オリンピックの初戦でケガをしてしまった。自分の中で懸けてきたオリンピック。気持ちも落ちてしまった」と振り返るも「日本代表として、やり残したことがあるんじゃないかと心の中にあった。それで『自分の気持ちが終わったから、もう日本代表には行きません』は自分の中でも納得しないし、後悔すると感じた。悔しさを晴らせるようにパリオリンピック出場する強い思いで決意しました」とする。「3年間大変なこともありましたけど、成長したなと感じている。続けてよかったなと思います」と述懐した。

 今後の夢も。「今後のことは未定」としながらも「夫のお世話を頑張りたいなと思っています」とはにかんだ。そんな夫の西田有志は、どんな存在だったか問われると「私は思ったことを、すぐに言っちゃう性格。夫にムカつくことも、楽しかったことも全て言っていた。大変だったろうなと思います」と照れ笑いしながら「苦しい時に絶対に私の味方でいてくれた。そこは感謝しています。これからはお世話を頑張りたいと思います」と話し、会場にいた西田を照れさせていた。

 古賀は佐賀県神埼郡生まれ。熊本・大津中学3年時に全国都道府県対抗中学バレーボール大会でJOC・JVAカップを受賞。オリンピック有望選手に選ばれ、将来を嘱望された。2013年、熊本信愛女学院高校2年時に日本代表メンバーに初選出。2015年にNECレッドロケッツに入団し、2015/16V・プレミアリーグで最優秀新人賞を受賞した。同年、リオオリンピックの日本代表最終メンバーから落選したことをバネに、2021年の東京オリンピックにエースとして出場、2022年から代表主将を務めた。プライベートでは2022年大みそかに男子代表の西田有志との結婚を発表した。

 10月12日の『大同生命 SV.LEAGUE オープニングマッチ』で古賀の引退セレモニーを実施する。

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