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日本人初の世界的コレクション出演…矢神サラが語る“トランスジェンダーモデル”の需要と可能性 性における「差別」と「区別」への持論も

08/30 08:30

  • エンタメ総合
日本人初トランスジェンダーのモデルとして世界的コレクション出演した矢神サラ

 日本人で初めてトランスジェンダーのモデルとして世界的コレクション『LAファッション・ウィーク』に出演したモデルで実業家の矢神サラは、『2025年春夏パリコレクション』への出演も決まっている。10代から整形を繰り返し、性別適合手術を受けるなど、自身のコンプレックスと真正面から向き合いながら、差別や偏見をものともせず、目指す目標に向かって生きてきた。海外のファッション業界における高身長を活かした日本人のトランスジェンダーの需要と可能性とは? そして“トランスジェンダーモデル”とメディアでひと括りにされる中、「差別」と「区別」について持論を語った。

【動画】今の姿からは想像ができない…20kg減量前の矢神サラ、海外モデルデビュー秘話も

◆子どもの頃の夢はアイドル スカウトされてモデルの世界へ

――モデルを目指したきっかけを教えてください。

【矢神サラ】 約1年前に、いま所属しているエリート・モデル・ジャパンの社長とイベントで知り合い、スカウトされました。社長が、「モデルの業界で重視されている“細いだけではない体付き”のスタイルであること。そして、トランスジェンダーであるサラちゃんにしかわからない経験をしてきたこともプラスの武器になるから、モデルとして世界の舞台を一緒に目指そう」と言ってくれました。新しいことに挑戦するのを人生のポリシーにしているので、せっかくお話をいただいたのでやってみようと思ったのがきっかけです。

――それ以前から、モデル業界や芸能界には興味があったのでしょうか?

【矢神サラ】 子どもの頃はアイドルになることが夢でした。当時、K-POPグループが活躍していて、少女時代に憧れていました。それでアイドルを目指して上京しました。時を経て目指していたところに近い世界であるモデルのお仕事に声をかけてもらえてすごくうれしかったです。本格的にモデルのお仕事をする前も、ウエディングショーのモデルやタレントのような仕事をしたり、取材を受けたりはしていました。

――矢神さんはもともとスタイルが良かったのでしょうか?

【矢神サラ】 いまより20キロくらい太っていました。体重が75キロあったので、ダイエットしました。でも胃は男性のままなので、空腹になるとたくさん食べてしまって、何もしないと30代の普通の中年男性の体になっちゃうんです(笑)。それじゃダメだって20代前半に気づいてからは、スタイル維持をするために、ジムに通って、体のラインがキレイに見える筋肉をつけるトレーニングをしています。

――男性らしい骨格が残っているトランスジェンダーの方もいますが、矢神さんは女性特有の丸みのあるボディラインで、同性もうらやむ美しいスタイルです。

【矢神サラ】 諸説ありますが、10代までに一次成長、二次成長があり、その後、20歳を超えてからも成長し、どんどん体が男性化していくと聞きます。それを阻止するのが女性ホルモンの働きなので、ホルモン治療を早くからやっていたことが、大きなポイントだったと思います。睾丸を早めに切除することも、いまの体につながっています。

◆高身長が強みになる…海外のファッション業界における日本人のトランスジェンダー需要

――『第1回世界ファッションショーin日本オーディション』で優勝し、今年3月には日本人トランスジェンダーとしては初めて世界5大コレクション『LAファッション・ウィーク』にトップモデルと並んで出演を果たしました。わずか1年でそこまで登りつめた要因をどう考えますか?

【矢神サラ】 食事制限やトレーニング、レッスンでウォーキングやスタイルを整えています。身長が175センチあるのですが、モデルになる前から整形で骨を削って顔を小さくしているので、全身のバランスもあると思います。それに加えて、ひとりで戦って生きてきた精神力。何かをやりきるメンタルの強さを始め、人生の中で積み重ねて手にしてきた、どんな場でも自分を表現する力が大きいと感じます。

――身長175センチの矢神さんは、女性として高身長ですが、それが強みになりますね。

【矢神サラ】 それはあると思います。なかには高身長をコンプレックスに感じている人もいるかもしれません。ですが世界に目を向けると女の子でももっと背が高く、堂々と生きています。モデル業界は、そんな女の子たちが輝ける場所です。高身長だからモデルを目指せとは言いませんが、それが強みになる場所があることを知ってほしいです。

◆海外では“女性”“トランスジェンダー”それぞれの枠でモデルとして活躍ができる

――世界的なコレクションでのトランスジェンダーモデルの需要はどうなのでしょうか。

【矢神サラ】 ファッション業界では、トランスジェンダーモデルを使っていることが企業イメージのプラスに繋がる場合もあるので、コレクションを含めて需要はあります。今回の『LAファッション・ウィーク』は“女性”として出演しましたが、“トランスジェンダー枠”の時もあれば、そうでない時もあり、二足のわらじで活動できるのも強みのひとつになると思っています。ただ、メディア出演の際は、“トランスジェンダーモデル”というワードがセンセーショナルなので、そういう言い方になっていることが多いように感じます。

――ファッションの世界はLGBTQに対して寛容というイメージがありますが、メディアではひと括りに“トランスジェンダーモデル”という枕詞で呼びます。そうひと括りにカテゴライズされるのは、いまの時代において差別的な言葉の使い方に感じることもあります。

【矢神サラ】 トランスジェンダーがひとつの個性として認識されていると考えているので、私はその言葉に対して差別的と感じたことはありません。ただ、「差別」と「区別」をわけることは大事です。例えば、自分は女性だと言い、男性の体で女湯に入った事件もありましたが、当事者は“男性の体”で女湯に入ろうとは思いません。女性の体になって、性別を移行して、周りの人に迷惑をかけたくないと思っている人がほとんどです。

――SNSで「手術なしで性別変更認めるって絶対におかしいと思うよ。当事者として言うと周りの悩む子たちもどうにかお金を貯めて女性器にするため手術頑張ってる」と発信していますが、それにつながりますね。

【矢神サラ】 「体は男だけど、心が女だと言っているからいいよね」と雰囲気に押されて認めてしまったら、社会が混乱します。体が違うということは「区別」としてあるべきと、私は考えています。一方、“トランスジェンダーモデル”と言われることは、“名古屋出身のモデル”と言われているのと同じ感覚です。名古屋の特色を活かし、それを強みにすることもできる。その形容詞は差別でないのと同じことように、トランスジェンダーという形容詞がついたモデルであり、それを強みにできるなら良いと捉えています。

◆“トランスジェンダーでも明るく生きて、何事にも挑戦できる”こと知ってもらいたい

――いまはモデル人生の第一歩を踏み出したところですか?

【矢神サラ】 そうですね。『LAファッション・ウィーク』への出演はうれしかったし、感動したけど、どちらかといえば「しっかりやらないといけない」という気持ちが強かった。でも、その空気を楽しんで、いろいろなことを吸収して帰ろうとも思っていました。次は来年2月の『2025年春夏パリコレクション』が決まっているので、そこに向けて調整しています。

――これからの活動のメインは海外になりますか?

【矢神サラ】 イタリアやアメリカ、フランスなど国によってもコレクションで求められることや好まれるモデモデルが変わります。そのなかで自分にあうコレクションを事務所と話しながら決めています。その一方では、日本でのモデル、タレント業も積極的にしていきます。私、おしゃべりが好きでトークは得意なので、多方面で活動できる存在になれたらと思っています。

――いまの夢は何ですか?

【矢神サラ】 私は、幼少期から培った強いメンタルを持っています。それはLGBTQというカテゴリーだけでなく、もし女の子に生まれていたとしても、同じだったと思います。一般的なニューハーフやゲイは、精神的に追い詰められ、自殺を意識したことがある人も多いです。女性として生きていても男性に見られ、子どもを産めないなど、いろいろなことで傷ついて、ちょっとしたことでもそれがきっかけで心が折れてしまう。

 そういう現状をたくさん見てきた私が、何事にも挑戦して道を切り開いていくことで、同じ境遇の子どもたちが少しでも明るく生きられる世の中にしたい。トランスジェンダーでも元気に明るく生きている人もいると、私を見てもらいたい。そういう存在になりたいって、大きなことを考えています(笑)。

(文/武井保之)

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