【郡山・日和田】<茨やうをまた習ひけりかつみ草>歴史に埋もれた幻の花

09/30 12:30

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安積山公園の丘の上から旧奥州街道が続く北西を望む。芭蕉がどれほど熱心に花かつみを探したかは分からないが、街道を北上したのは確かだ=郡山市日和田町

 松尾芭蕉と河合曽良が郡山宿をたったのは1689(元禄2)年5月1日(陽暦6月17日)の早朝、日の出のころだった。  江戸を旅立ったのが同年3月27日(同5月16日)だから、「おくのほそ道」(以下「ほそ道」)の旅も、ほぼ1カ月が経過していた。疲労がたまっていただろう。だが、この日の芭蕉たちには、快活さがあふれていた気がする。  故事に残る名前  曽良の「日記」によると、天気は快晴。自然と気分も上がっ...

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