「勝手に指定して勝手に解除して...。特定避難勧奨地点って何だったんだろう」。晴れた日は太平洋に浮かぶフェリーを望める南相馬市原町区高倉地区で、50代男性はため息交じりに語った。「解除から6年たったが何も変わっていない。奪われた生活は戻らないし、悩み事だけ残ったままだ」。同市原町区の別の地区にある2LDKのアパートで避難生活を続ける男性。いまだ未来図を描けないでいる。 東京電力福島第1原発事故当時...
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