「あの時、政府が(現状よりも)低い基準値を言えば、国民の皆さんは安心するだろうという想定があった。だが、数値の問題ではなかったんです」。東京電力福島第1原発事故の発生当時、国の放射線審議会長を務めていた丹羽太貫(おおつら)(77)は、食品に含まれる放射性物質の基準値が1キロ当たり500ベクレルから100ベクレルに引き下げられた背景をそう指摘する。引き下げは、原発事故から約1年後の2012(平成2...
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