「率直に言えば、あのような過酷事故は想定していなかった。放射線の基準を含め、いろんな面で不十分だったと思う」。東京電力福島第1原発事故発生当時の民主党政権で、原発事故担当相や環境相として復興政策の立案を手掛けた衆院議員の細野豪志(49)は、放射線の基準決定を巡る内幕を語り出した。 年間20ミリシーベルト異論なく 細野が深く関与した基準は、避難指示の目安となった「年間20ミリシーベルト」と、除染の...
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