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郡山出身・湯浅譲二さん死去 94歳・作曲家、現代音楽発展に貢献

08/05 08:10

本紙のインタビューに、「音楽都市宣言」から10周年を迎えた郡山市への思いを語った湯浅さん=2018年1月31日、東京都の自宅で

 日本の現代音楽の発展に貢献した作曲家で文化功労者の湯浅譲二(ゆあさ・じょうじ)さんが7月21日午前8時43分、肺炎のため東京都の自宅で死去した。94歳。郡山市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男龍平(りゅうへい)さん。

 旧制安積中時代に独学で作曲を始めた。新制安積高から医師を志して1949年に慶応大に進学したが、現代音楽に触れて中退し、作曲家の道へ進んだ。

 戦後に多様な前衛芸術を展開した「実験工房」で52年から武満徹さんらと活動。国内外で活躍し、オーケストラや室内楽、合唱、電子音楽などを幅広く作曲した。

 テープやコンピューターなど最新技術を駆使するとともに、グラフを用いた独自の作曲法を生んだ。代表作に、松尾芭蕉の俳句に発想を得た「芭蕉の情景」、「クロノプラスティク」などがある。テレビや映画の音楽も数多く手がけ、NHK大河ドラマ「徳川慶喜」や連続テレビ小説「藍より青く」の音楽、童謡「はしれちょうとっきゅう」も広く知られている。

 米カリフォルニア大サンディエゴ校教授(後に名誉教授)や桐朋学園大特任教授を歴任し、後進の育成に努めた。97年に紫綬褒章、99年に恩賜賞・日本芸術院賞、2007年に旭日小綬章、14年に文化功労者。県しゃくなげ大使や郡山市フロンティア大使を務め、17年には郡山市名誉市民に選ばれた。10年11月~11年1月に本紙連載「人生春夏秋冬 私の道」に登場した。

 古里・郡山、創作の土台

 「心は常にふるさととともに」。先月21日に亡くなった郡山市出身の作曲家湯浅譲二さん=享年(94)=は、国際的に活躍する傍ら、地元との関わりを持ち続けた。創作の土台には、生まれ育った郡山、本県の風景や気候風土があった。

 湯浅さんは古里のために数多くの作品を手がけた。母校金透小の創立100周年に合わせた「金透讃歌」など、同市を中心に県内の学校の校歌や賛歌を制作。2016年には同市制施行90周年・合併50年の記念曲「あれが阿多多羅山(あだたらやま)」を作曲した。

 名誉市民に就任した17年には「私の世界観は、安積平野の開けた土地、猪苗代湖から望む風景、そういったものが基礎。心は常に古里郡山とつながっている」と思いを語っていた。

 「何よりも郡山愛した」

 甥(おい)の湯浅報恩会理事長湯浅大郎さん(64)は「気さくでユーモアのある人。何よりも郡山を愛し、作品の根底には原風景があった」としのんだ。親交のあった郡山文化協会顧問の大槻順一さん(86)も「物静かだが、音楽の話になると熱く、高齢になってからも作曲やコンサートに情熱を持っていた。11月の郡山市制施行100周年コンサートに来ていただきたいと話していた。大変残念だ」と悼んだ。品川萬里市長は「まちづくり、教育・文化の振興に多大な貢献をいただいた。平和の尊さを熱く語られた姿も忘れられない」とコメントした。


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