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長沼まつり、40年の歴史に幕 あす最後の開催「楽しんで記憶に残す」

09/13 08:35

最後の長沼まつりに向け「集大成として良いねぶたを作りたい」と力を込める「私たちのねぶた愛好会」のメンバー=須賀川市
力を合わせてねぷたを完成させ、本番へ気持ちを高める長沼中の生徒ら

 須賀川市長沼地区で約40年にわたり続けられてきた初秋の風物詩「長沼まつり」が14日、後継者不足などのため今年で幕を閉じる。地元住民らの思いが詰まったねぶた(青森方式の立体形)、ねぷた(弘前方式の扇形の絵)計8基が長沼地区の金町通りに繰り出し、一夜限りの晴れ舞台で有終の美を飾る。「記憶に残るまつりにしたい」。関係者は心を一つに準備に力を込める。

 参加団体の一つ「私たちのねぶた愛好会」の作業場では、戦国武将の山中鹿之助をモデルにしたねぶたが静かに出番を待つ。会員が7月から平日夜と土曜日に集まり、あうんの呼吸で制作を進めてきた。初回から毎年参加する代表の矢部昇伸(のりのぶ)さん(61)は「初めて作った時は要領が分からず、週末は朝まで作業した。本場の青森まで制作の様子を見に行ったり、撮ってきた写真が頼りで、見よう見まねだった」と懐かしむ。

 「自分たちの手で、自分たちが楽しめるようなまつりをやろう」。その原点は合併前の旧長沼町で生きる若者の熱い思いだった。1985年に始まった前身の「石背(いわせ)長沼まつり」以来、手作りのねぶた、ねぷたが町中心部を彩る一大行事として発展し、世代を超えて地域の結束を強めてきた。

 実行委員会がまつりを終える決断をした要因として少子高齢化と新型コロナウイルスの影響が大きい。新型コロナ禍で2020年から2年間開催できなかった間に担い手の高齢化などで技術の伝承が難しくなり、参加を断念する団体、既に解散した団体も出てきた。

 さらに、若い力でまつりを支えてきた地元の長沼高が22年4月に統合。後継の須賀川創英館高の生徒が参加するものの、地域を取り巻く状況が変化し、再起は難しいとの結論に至った。

 「運営が厳しい現実に仕方がないという気持ちもある。40年近く夏は仲間と毎日顔を合わせて一つの作品を作り上げる達成感は何物にも代えがたいけどね」。矢部さんは新しい形で「ねぶた魂」をつなぐことができないか、アイデアのある人に協力していく考えだ。まつりの創設に携わった実行委員長の戸田修一さん(64)は「これまで関わってくれた大勢の人たちへの感謝を込め、記憶に残るよう、にぎやかに開催する」と話す。一時代の軌跡を胸に集大成に臨む。(高橋由佳)

 長沼中生「盛り上げる」

 「まつりを見て育った私たちにとって、ねぷたは地区のシンボル。終わってしまうのは悲しいが、責任を持って盛り上げ、自分たちも楽しみたい」。長沼中の佐藤未空さん(3年)は、完成したねぷたを前に意気込む。

 自分たちでデザインを考え、制作するのが3年生の恒例だ。今年は市の花「牡丹」と旧長沼町の花「ヤマユリ」、戦国武将の伊達政宗をモチーフに選んだ。

 本来、地区の小学6年生は「金魚ねぶた」を作って初参加を飾るが、佐藤さんらの学年は新型コロナ禍で中止となり「3年前にできなかったからこそ、思いが一層強い」。生徒らは本番で「跳(は)ね人(と)」としてよさこいを披露し、花を添える。

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