無実の罪で人の自由を奪ってしまうことへの恐れや、人権回復が遅れたことへの反省よりも、検察の面目を保つことの方が先に立っている感が拭えない。
静岡県で59年前に発生の4人殺害事件で、死刑判決を受けた袴田巌さんの再審無罪確定を受け、最高検が捜査や公判に関する検証結果をまとめた。県警の取り調べが連日長時間に及んだことや、袴田さんを犯人視し、自白を求めるなどの問題があったとした。
一方で、証拠の捏造(ねつぞう)があったとする地裁の指摘には「現実的にあり得ない」と反論した。その上で、検察側が控訴しなかったのは、袴田さんの法的地位が長期にわたり不安定な状況に置かれてきたことを考慮し、「検察官が控訴することによってその状況が継続することは相当でないと判断した」ためと、捜査当局が判決に納得していないことを改めて強調しているのは極めて疑問だ。
静岡地検が昨年11月に、袴田さんらに謝罪した際も、捜査機関の証拠捏造を指摘されたことなどについては「承服しがたい」としている。判決には事実誤認があるとするならば、控訴するのが筋だろう。それをせずに、一方的に判決を論難し、自らの正当性を強弁するような姿勢は、信頼回復をかえって遠ざけるものだ。
2度の再審請求審の長期化については、裁判所との協議が少なかったことや、弁護側の求める証拠の提示に消極的だったことを認めた。ただ、2014年の静岡地裁の再審開始決定を不服とした地検の即時抗告は、地裁の決定が科学的に誤った判断によるものだったとし、問題はなかったとした。
再審制度は、無実の可能性がある被告の人権を守るための最後のとりでだ。袴田さんのように有罪判決確定から名誉回復がなされるまで40年かかるようなことが二度とあってはならない。
検察側が反対すれば、改めて再審の是非が審理される制度は時間の浪費を招きやすく、合理的とは言えまい。再審の開始は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」があることを要件としており、裁判所の決定が誤りというのであれば、それを再審で立証すればいいだけのことではないか。
法務省は確定した刑事裁判をやり直す再審制度の在り方について、法制審議会に諮問し、見直しを検討する方向で調整している。袴田さんの事件をみるかぎり、再審制度の改善は不可避だ。再審への検察側の抗告の制限や、証拠開示の迅速化などに実効性を持たせた制度にしなければならない。